【自分メモ】

フリーランス翻訳者の読書メモ

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『ブッダの「慈しみ」は愛を超える』 



アルボムッレ・スマナサーラ 著の『ブッダの「慈しみ」は愛を超える』を読みました。


『慈経(Metta Sutta)』と呼ばれる仏教の経典を、わかりやすーく解説した本です。

この本を読むきっかけになったのは、「慈悲の瞑想」でした。

私は宗教家ではないのですが、機会を作って坐禅堂に坐禅を組みに行ったり、日ごろからヨガの練習と合わせて瞑想をしたりしています。その瞑想の時に、サンスクリット語で「文字」「言葉」を意味する短い言葉「マントラ」を唱えたりしますが(心の中でね)、ある時「慈悲の瞑想」というのを教えてもらい、その文言を唱えることが多くなりました。それは、自分や、自分の親しい人や、生きとし生けるものすべてが、さらには自分が嫌っている人や自分を嫌っている人すべてが、幸せであり、悩みや苦しみから解放され、願いをかなえ、悟りの光を受け取れるように、と願う文言です。

瞑想中にその言葉を心の中でさらさらと唱え、慈悲深い人間に一歩近づけたような気でいました。

大きな間違いでした。

この本には、「慈悲の瞑想」がどんなに厳しい修行かが繰り返し書かれています。

自分や親しい人の幸せを願うのは簡単。世の中すべての生き物の幸せを願うのは簡単。では、自分が嫌いな人は? 自分を嫌っている人は? その人たちが幸せになり、悩み苦しみから解放され、願いをかなえられたらいいなって、心の底からそう思えてる? 思えてるよって思いながら、「あの人以外はね・・・」なんて思っていない? 本はズバズバと痛いところを突いてきます。年齢に関係なく、人種に関係なく、見かけに関係なく、立場に関係なく、誰に対しても平等に、同じように接し、同じように幸せを願うことができる??

むむむ。たぶん、できてないです...。

でも、慈悲の瞑想っていうのは、これを心の底から祈ること。

つまり、それができる人になるというのは、瞑想の時だけでなく、「真にそういう人」にならなければならないということになりますね。そう考えたら、瞑想しながら文言をスラスラスラ~と表面的に唱えて分かった気になっていた自分が、本当に本当に恥ずかしい~。

この本を読んで何を学んだかって、そこです。

簡単そう、自分にもできそう、分かった気がする。

そのどれもが、「本当は1ミリも分かっていない」と同義語なんですね。
もちろん、私の場合は、ですが。

だから、何かを見聞きしたり教えてもらったりした時に「それなら私にもできそう♪」と思った時には、注意しなければ。たとえ表面的に形になったとしても、深く理解はきっとできていないから...。

もちろん慈悲の瞑想を唱えるに値するような人間になれるよう、これからも精進していきたいと思っていますが、正直この本を読んで、こんなにも自分について考え、反省することになるとは思っていませんでした。

私たちの目は顔の正面についていて、自分の前方、つまり自分の外側を見るようにできていますね。その視線を内側に向けるのはなかなか難しいことです。そんな中、この本は自分の内側に目を向け、自分としっかり向き合うことを教えてくれた本のように感じました。

良い本との出会いに感謝したいと思います。
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カテゴリ: 【6】 読書あれこれ

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Posted on 2014/06/03 Tue. 00:03    TB: --    CM: --

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