【自分メモ】

フリーランス翻訳者の読書メモ

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若年性認知症患者マイケルさんの日々[長文] 



前回の記事でCourseraについて書きました。

その講座のディスカッションフォーラムで、若年性認知症患者のマイケルさんという人に出会いました。いや、マイケルさんのポストを偶然見た、という感じかな。なんせ受講生2万人があれこれと議論する場なので、スレッドはたくさんあるし色んなテーマがあちこちにあるしで、フォーラムでの「出会い」というのは偶然というか奇跡というかそんな感じだなあと感じます。

マイケルさんは米国人男性。認知症の症状が39歳で出始め、その10年後(2008年)にやっとアルツハイマー病の診断を受けることができたそうです。そんなマイケルさんが認知症の日々と気持ちを綴ったポストが、ある日目に飛び込んできました。私は認知症についての本を読んだり市民公開講座に参加したりすることはありますが、患者本人の声に触れる機会はめったにありません。貴重な機会だと思ってありがたく目を通してみると、非常に興味深かったのと同時に、マイケルさん(とその奥様)の苦労が心に重く響く内容でした。

講座が終わってしまったためディスカッションフォーラムに入ることはもうできませんが、講座期間中にマイケルさんご本人とコンタクトを取り、彼のポストを日本語に翻訳する許可とそれをこのブログで紹介する許可をもらいました。今回長い記事ですが、よかったら読んでみてくださいね。
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僕の障害がどの程度のものなのか、ちゃんと分かっている人なんていない。手や足の一本でも失っていれば、一目で分かってもらえるのだろうけれど。同情してほしいなんて思っていない。でも、分かってほしいと思っている。認知症に関する専門用語は知っていても、認知症患者がどんな日々を送っているかを本当に理解している人はほとんどいない。だから今ぼくはこれを書いている。僕らの障害は目に見えない。でも正真正銘の障害だ。多くの人に学び、知ってもらいたい。「アルツハイマー病になんて見えないのに」と多くの人に言われ、僕はとても嫌な気分になる。アルツハイマー病と暮らす日々がどんなものか、お話ししよう。

あなたの友人、親戚、または家族でもいい。アルツハイマー病にかかったと想像してみてほしい。

買い物に行って品物を見る。目はちゃんと見えているけれど、それをしっかりと理解することはできない。正しい選択ができるか不安で、物事を決めることができない。夢中になって楽しんでいた趣味も、それを処理する能力がもうない。ガジェットが大好きだったのに、今ではもう使いこなすことができないテクノロジーに恐怖する日々だ。これがアルツハイマー病の毎日。でもそれだけじゃない。

楽しいイベントに行っても、雑音と人の話し声が拷問のようだ。周囲の音に注意を傾けないようにする、ということができないからだ。多くの人が会話しているような場所で誰かが僕に話しかけても、僕にはその人が何と言っているのかが理解できない。周囲の会話もその人の声もみんな同じ音量で耳に入ってくるからだ。聞こえてくる言葉が全部一緒くたに流れ、異国の言葉のように聞こえてしまう。

僕はもともととても積極的だった。今ではフットワークもやる気も失い気味だ。出したものも片付けない。どこにしまうべきか分からないし、しまってしまえばもう見つけられなくなるかもしれないからだ。ニコニコとしているかと思えば急に怒ったりもする。かつてのように書いたり話したりすることもできない。友人は次第に僕と距離を置くようになり、僕の妻に話かけるようになった。僕はそれをちゃんと分かっている。

妻と食料品を買いに行っても、何を食べたいのか決められない。全部の棚をゆっくりと見れば決められるけれど、それには途方もない時間がかかる。だから、棚を見て時間を無駄にするようなことはもうしない。食べ物を見て美味しそうだと思うこともなくなってしまった。好きなものを見つけられたとしても、結局食べるのを忘れてしまう。買ってきたのを忘れてしまうんだ。昨日は「明日食べよう」と思ってマフィンを買ったものの、次の日には「食べる物が何もないな」と思って他の物を食べてしまった。 夜になって妻が「マフィンがあるよ」と教えてくれた。ずっと台所のカウンターに出してあったのだけれど、僕の心からはするりと抜け落ちてしまう。

旅行は大好きだ。でもこの間の旅行で、また一つできなくなってしまったことがあるのに気付いた。かつての僕は、地図を見ればA地点からB地点まですいすいと移動できた。今回の旅行では、そうはならなかった。妻は僕のようには地図を読めないのに、僕は妻に頼りっきりだった。地図を見ても、僕はエリア全体ではなく道路の一本一本を見てしまう。地図を読む時は自分がどの方向から来て最後にどの道を渡ったかを覚えていなければならないのに、僕にはそれができない。かつての自分と同じレベルで地図が読めない妻に対し、僕はイライラをぶつけてしまった。認知症患者と暮らすのは簡単なことじゃない。

食事をしようとメニューを見ていても、僕には意味のない単語の羅列に見えてしまう。料理の名前がいろんな国の言葉に翻訳されていてそこに英語もあったのだけれど、僕は混乱してしまった。なぜか僕には情報を処理することができず、食べたいものを決めるのに妻に頼ることになってしまった。

そして、駅だ。時刻表を見ても全く分からない。次の電車はどこで乗るのか、どうやって乗るのか。妻が見ている情報が理解できない。僕はただただ彼女について行き、彼女がしっかりしていることに安堵するのみだった。どれもこれも、これまで誰にも頼る必要のなかったことだ。ビジネスでもプライベートでも、僕が常にリーダー役だった。

身だしなみも、かつてはとても気を使っていた。それが少し変わった。理由は分からない。ただ、前回がいつだったか思い出せないから、ということもある。例えば、僕は三日に一度髪を洗っていたのだけれど、近頃は最後にいつ洗ったのか思い出せず、三日より長く洗わないことがある。ジーンズも同じような感じだ。体をうんと動かしたりジーンズが汚れたりしない限り、一週間くらいは履き続ける。履き始めた日を思い出せなければ、二週間くらいは履き続けてしまう。要するに、第一日目がいつだったか覚えていられるかどうかなのだ。

以前は自分の家だけでなく近隣の家の芝も頼まれて刈っていたのだけれど、できなくなってしまって、辞めざるを得なかった。最後に刈ったのは自宅の庭で、ごみ袋があっという間にいっぱいになったがその理由が分からなかった。調べてみると、芝刈り機の刃の位置を低く設定しすぎて、芝を地面からはがしてしまっていたのだった。そんなことが何回もあった。

昔の自分は地図が無くても迷うことなどなかった。しかしこのような方向感覚には、いつどこで道を曲がったか、というような記憶の維持が必要だということに後になって気が付いた。僕は方向感覚を失ってしまったらしい。妻に何度も何度も「ここはどこだ」と確認しなければならなくなった。妻はそういった状況に慣れておらず、強いストレスを感じている。彼女の肩の荷がだんだん重くなってきている。今回の旅行では、彼女に負担をかけ過ぎたと思う。以前はその負担を分け合うことができたのに。旅行の計画は大変で、そのすべてが彼女一人の仕事になってしまった。彼女の考えが正しいかどうか、僕にはフィードバックすることもできないからだ。 

旅行中はいつも、人ごみの中で妻を見失うのではないかと心配しながら歩いた。それで、僕は滞在しているホテルのビジネスカードを身に付けていた。僕は冗談を真に受けるようになってしまい、人がジョークを飛ばしてもそれを理解することができなくなった。昔はとても自立していたけれど、今は他人に頼る毎日だ。駐車場のどこに車をとめたか分からなくなるし、ある地点から次の地点へどう行くのかも分からない。だから僕は、障害者用の駐車スペースを使っている。こうすればラクに車を見つけられるけれど、申し訳ない気持にもなる。重い箱を車に乗せる自分を見て、人はきっと僕がずるをしていると思うだろう。車を探すのに多くの時間が必要だということは、人には分からないから。

歩きながら僕はよく妻に「今なんて言ったの」と聞く。すると妻は「何も言ってないよ」と言う。そんなことがよくある。僕にはいつも、何かが聞こえているような気がする。そうかと思えば、誰かが僕に話しかけた時、とんちんかんな答えを返してしまうことがある。言われた言葉を完全に誤解して、間違って聞いてしまう。

僕はこれからの困難の数々を思って不安になる。自分の頭が少しずつおかしくなっていくのを自分自身で感じ取っているのに、それをどうすることもない。人はいつも「何かできることがあれば言ってくださいね」と言ってくれる。でも実際に助けを求めても、誰かが何かをしてくれる様子はない。アルツハイマー病に対する支援を求めても世の中は全く動く様子がなく、僕はそれにショックを受けている。親身になってくれているかと思いきや、それを行動に移してくれる人はほとんどいない。自分がこのように扱われると、同じ病気を持った何百万人もの患者も同じような扱いを受けているのだろうと、とても悲しくなる。僕は誰かが困った時にはいつだって手を差し伸べてきたのに、今とても孤独だ。

僕は外食が好きだけれど、外食は難しい。その日の特別メニューが説明された後は、誰かにもう一度説明してもらわなければならない。それに、メニューを選ぶのにも時間がかかる。興味を引く料理があったらそこに指を置き、メニューを最後まで見ながら指を置いたメニューと比べてみる。だが、指を置いた場所を何度も見て確かめなければ、ほかのメニューと比べることを忘れてしまうし、そうなると料理を選ぶのにさらに時間がかかる。僕はいつも、食べたことのない料理にチャレンジしたいタイプだ。注文した料理がいつも当たりだとは限らないけれど、それは問題ない。問題なのは、料理が気に入らなかったことを忘れて次の時にまた同じ物を注文してしまうことだ。やってしまったと気付くと外食がいやになる。料理の付けあわせを選ぶのも、記憶して処理しなければならない情報が多すぎて僕には難しい。

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とても長いポストなので、最初の三分の一だけ載せてみました。

認知症=物忘れと思いがちですし、もちろん記憶障害も大きな問題なのですが、認知機能に問題が発生するということは、それだけではないんですよね。そんなことがよく分かるポストだったように思います(最初の三分の一だけでは分かりづらいかもしれませんが)。

マイケルさんは開講中、多くのポストでご自身の貴重な体験や考えをシェアしてくれました。多くの学びを与えてもらい感謝しています。これからも奥様と長い期間穏やかに暮らせますように、と祈っています。

(今考えるとマイケルさんは、学ぶためというよりも、学びに来た私たちにリアルな認知症の日々を教えるために講座に登録してくれていたのかもしれないなー。どうだったんだろう?)
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カテゴリ: 【3】 認知症 

テーマ: 認知症いろいろ - ジャンル: 心と身体

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Posted on 2015/03/20 Fri. 01:35    TB: --    CM: --

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