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『「痴呆老人」は何を見ているか』 



大井 玄 著の『「痴呆老人」は何を見ているか』を読みました。


認知症(本書では著者があえて「痴呆」という言葉を選んでいます)を患ったご老人は何を見ているのか・・・を突き詰めて考えると「私とは何か」「つながりとは」「コミュニケーションとは」を考えるということになる、という議論が展開されている一冊です。

私たちが過ごす新しい毎日は、過去の毎日の経験に基づく毎日です。新しく遭遇する事象をこれまで経験したことの記憶と照らし合わせ、その意味を理解納得し、対処しています。そして、毎日いろんなものを通じて自分の周りの環境、つまり社会とつながりを維持しています。こういった工程は言語を通じて行われています。特に他人とのつながりはコミュニケーションをとることによって維持されていますね。

コミュニケーションは、情報共有と情動共有の二層構造。普段私たちは多くの情報共有過程を通じて、自分が暮らす世界を理解し、その理解の足並みが大まかなところで周囲の人々と同じだと認識しています。

では、認知機能が障害されるとどうなるのでしょうか。自分と自分の周りの環境との関係性があやふやになってきます。脳はその時に残る認知機能と記憶を使って、その人が理解できる環境を構築するようです。するとその環境は、自分では納得できる環境であっても、多くの人が暮らす環境とは異なるものになりますね。グループホームにお見舞いに来た人がその環境を「グループホーム」と認識しているのに対し、例えばそこで暮らす患者さんにとっては、そこがかつて暮らした街になっているのかもしれません。廊下が交差する場所は交差点、消火栓の赤いランプは交番。もしかしたらそんな風に認識しているのかもしれませんね。

私たちは誰でも、自分が安心できる心地よい環境を求めます。だから認知症患者さんも、やはり自分が安心できる環境を自分の中に作って、そこで暮らしを送りますね。それを尊重しその世界で心地よく暮らせるようにしてあげることができれば、BPSDはあまり表面化しないかもしれないし、逆に、認知症患者さんをその心地良い世界から引きずり出して、周囲に合わせるように強要してしまうと、緊張や不安が生まれてBPSDが表面化してしまうのかもしれません。どうだろう。

ところで、認知機能が衰えて言語による情報共有が不可能になってしまっても、情動共有は効果を発揮し続けるのだそうです。しっかりと敬語を使って尊重する姿勢を見せたり、あたたかさや善意を伝えたり、その人の趣味を通じて一体感を持ったりすることで、認知症患者さんは周りの環境とのつながりを感じて安心できるかもしれませんね。

「認知症患者さんは・・・」とたくさん書いたような気がしますが、周囲の環境とのつながりを求め、コミュニケーションによって自分の世界を確認しているのは、みんな同じなんですね。そんな風に思えた一冊でした。
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カテゴリ: 【3】 認知症 

テーマ: 認知症いろいろ - ジャンル: 心と身体

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Posted on 2014/11/20 Thu. 11:50    TB: --    CM: --

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